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白い巨塔の舞台は大阪、なんですから。

今日は田宮版白い巨塔の再放送(フジテレビ)が終わった日である。31話を13時間に押し込めたので、かなり端折ってるようだが。
さて、何故『昭和版』『旧版』などと書かずに『田宮版』と書くかといえば、『佐藤(慶)版』、『村上(弘明)版』というのも存在するからだ。私が初めて観た『白い巨塔』は村上版で、次に観たのが田宮版(2002年正月頃、スカパーのCS721で放送されていたからだ)だった。
そんな私にとって、唐沢版というはダメダメだった。

確かに音楽はいいし、演出も(病院内に関して)良かったと思うのだが、脚本と配役が良くなかった。脚本の良くなかった点は、まずは『何でもかんでも恋愛にする』ところだ。関口弁護士がどうしてだか東教授の娘、佐枝子に惚れ、看護師の亀山と柳原が妖しげな関係になっている。あげくの果てには主役の財前と里見まで恋人同士のようだ。それは、財前の臨終のシーンを観れば分かる。どうしてだか、財前の舅である又一、財前の妻である杏子が『人払い』の対象となり、里見だけが財前を看取るのであるから。これは、801ではないか。井上由美子って『北条時宗』でもそうだったんだけど、腐女子に定評があるのだ。関口が佐枝子に惚れるという妙な見せ場を作ったのも、ただの上川隆也びいきではないのだろうか。
もう一つ脚本でダメだった部分は、『話の本筋に関係ないのが多すぎ』というところだ。『くれない会』のシーンやら、財前の妻杏子と愛人ケイ子の確執なんかは本当は要らない。今はF1,F2層に訴えかけないと視聴率が取れないのは分かるが…。
こういう要らんシーンのせいで、財前の母の出番や、『田宮版』にいたうめ婆ちゃんのエピソード、亀山の夫のエピソードが省かれたのだとすると、私はもう泣くしかない。

配役が駄目だったと思うのは、この物語の舞台が関西だったからだ。
まず、コテコテの大阪商人気質の男、又一があんなに関西弁が下手ではいかんだろう。
その点、岩田会長が東京出身の故・金子信雄から曾我廼家文童になったのは良かったと思うが。
ケイコが年食ってたのも、亀山が若かったのも、誤診で死んだ佐々木庸平の息子、庸一が不良っぽかったのもイカンかったと思う。
舞台が関西ということに関しては、『唐沢版』は本当にサイアクだった。又一が関西弁下手から始まり、コテコテの関西人の娘である杏子が関西弁をほとんど話さず、両親ともに関西弁を話す(下手だが)佐々木庸一が全く関西弁を話さない。一番酷かったのは、佐々木傭平が延々と『六甲おろし』を歌い続けたところだ。『唐沢版』の演出家達(河野圭太、西谷弘、村上正典)は、大阪を記号的にしか捉えられなかったようだ。
これが『田宮版』だと、出演者の多くが関西弁を話すし、大学病院を追い出された里見がかかわる山田うめは十津川の老婆だし、佐々木庸平の仕事が繊維問屋(大阪の船場は繊維の町だから)だし、関西の感じがよく出ているのであるが。
記号的にしか捉えられないというと、財前の田舎も、一体ここは昭和の何年だ?という感じだった。郵便局で送金するとか、いくら60代の女性の1人暮らしだからといって黒電話を使っているとか。
『人間の証明』もそうだったが、フジテレビのドラマ演出陣は、関東以外の描写が出来んのかと思った。

『田宮版』でどうしようもなく低予算っぷりを感じた、ヨーロッパの描写は、現代版の圧勝だった。だが、財前がアウシュビッツに行って、それがその後の財前にどう関わったかがよく分からない。単にアウシュビッツ行きたかっただけちゃうんかと、突っ込まずにはいられなかった。

『唐沢版』は原作と同じく財前五郎が『反省』をしなかったことが褒められる。けど、それは『村上版』でもやってたことだ。どうせなら、『村上版』で2クールやって欲しかったと思うが、それは決して実現しないこともこっちは分かっている。
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男はサンヒョクに感情移入してみるべし

チュートリアル(お笑いコンビ)の徳井がチェ・ジウ(らしき韓国女性)に逆ナンされたことを関西の番組で言ったら、どうもインターネットニュースに載っちゃったようだ。徳井はイケメン芸人NO.1(ちなみにブサイクNO.1がフットボールアワーののんちゃんらしい)に選ばれてるくらいだから、あながち嘘とも思えない。
……イケメン徳井で思い出したが、私は西野がそこそこのイケメンというだけで人気が出ているキングコングが納得いかない。お笑いは面白くてこそ、であろう。

さて、昼メロや二時間サスペンスが好きな私こと毒蝮麭麺ですが、当然のように『冬のソナタ』を観ています。元々我が家では母が観ていて、カルチャーショックを受けておったのです。何故なら母は戦前生まれで、どこかでまだ韓国は日本の一部であるような気がしており、そして韓国というのは貧しいというイメージを持っていたからなのです。チマチョゴリとオンドルの国だと思っていたのが、近代化しておりびっくりしたとのことです。その後マフラーの巻き方やら美しい演出やらが気になって、ドラマなんてめったに観ない母が最後まで観てしまったとのことです。

そんな私が小馬鹿にしながらも『冬のソナタ』を観続けているのは、サンヒョクがユジンを手篭めにしようとした回がきっかけでした。元々第一回観て、話が10年前の高校時代のため、役者達の『制服を着る無理さ』が辛くて止めていたんですけどね。
ちなみに『冬のソナタ』は件のペ様(だから何でヨン様なのかと)が演ずるミニョン(元々はジュンサンという名前)と、冒頭のチェ・ジウが演ずるユジンの物語で、そこにサンヒョクやらチェリンやらチンスクといった元同級生、それにどうしてだか子供の恋愛にオトンとオカンが絡んできやがります。

でも、私ははっきりいってミニョンとユジンなんてどうでもいい。
だってユジンってサンヒョクっていう婚約者がいるのに新しい男が出来かけて、なのに婚約者に対して『私が愛さなければいけないのは貴方です』なんていう女だもの。ミニョンだってただのキザ男に見えなくもないぞ。そもそもペ様は眼鏡を取れば松尾スズキ、かければスマイリーキクチって顔だもんな。

このドラマの見所はサンヒョクです。それは、彼がダメダメだからです。↑の、ユジンを手篭めにしようとした恥ずかしい事実も、しっかり双方の親にバレちゃうわけです。ユジンに捨てられるとご飯も喉に通らず病院に入院します。それだけでもヘタレなのに、見舞いに来たユジンに、『君は謝って済むかもしれないが、僕はどうしたらいいんだ?』と半ばオドシをかけるようなことをしてくるのです。
韓国に関する本によると、何でも韓国社会ではとにかく、言葉で相手を口説き落としたモン勝ちなんだそうです。ミニョンのように優しく相手を口説き落とすのも、サンヒョクのように情けないオドシをかけるのも"アリ"なんだそうです(ほんまかいなと思いますけどな…)。
冬ソナは終盤、愛し合うジュンサンとユジンが、『実は異母兄弟かもしれない』というよくアリガチな展開でゴタゴタします。しかしそれも、『異母兄弟はジュンサンとサンヒョク!』という物凄いところにオチが来ます。子供達が同級生で恋の鞘当てやってるけど、親世代もそうだった、というかなりツッコミがいのある落とし所です。恋のライバル同士だった二人が兄弟だった、というのは腐女子的にもオイシイ展開だったと思います。

さて、タイトル『男はサンヒョクに感情移入してみるべし』というのは、キザにも見えて、頭のよさやアメリカ仕込みの話術も携えたミニョンより、やや卑屈でヘタレで、けれども自分の幸せを掴むためにはなりふり構わず、最後は好きな女の幸せを願うサンヒョクの方に、一般男性は感情移入できるんじゃないかな、と思ったからです。ただ、一般男性にはあそこまでなりふり構わなくなれないんじゃないかな、とは思いますが。まぁ私がサンヒョクが好きなのは、中の人(つまり、パク・ヨンハ)がジュンサンの中の人より若々しくて、サンヒョクより中の人の方がオトコマエだからなんですけどねへへ。
もう一つ、ミニョンの部下である、悲しき中間管理職の中年男、キム次長も感情移入のしどころだと思いますよ。いいキャラだし、脇役なのにドラマの最後まで(サンヒョクやチェリンよりあとにまで)ひょっこり顔を現してるヒトですから。

最後に、サンヒョクの中の人パク・ヨンハは日本の月9ドラマ『東京湾景』に出てました。私は月9を観てないので細かいことは言えませんが(じゃあ言うなよというツッコミはひとまずお治めください)、韓流だから在日韓国人のドラマってのはあまりに安易すぎるんじゃないでしょうか。韓国で生まれ暮らす韓国人同士のドラマと、日本にいる韓国籍の人と日本人のドラマは同じ目線で語れないでしょう。だいたいあのドラマ、日本人の側の方が立場が弱くて、韓国籍の側の方が立場が強いようになってるんでしょ。それって現実を見た場合に綺麗事すぎんじゃないか、と思うのです。
そもそも、『東京湾景』って原作は日本人のドラマなんだそうで。それが、プロデューサー兼脚本の栗原美和子の手によって(彼女が昔、在日韓国人と付き合ったという経験があって)、あのような作品になってしまったというのだ。
どうもあの人は自分の手がけた作品を、自分の『萌え』の支配下においてしまう傾向にあるようだが、今回はそれが裏目に思いっくそ出てしまったということかしら。
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