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ピアノがやってきた、yeah!yeah!yeah!

前回の補足
・Murphy小父さんがJOY DIVISIONをカヴァーしているのが私にはたまらないんだが、Murphy小父さんはIan Curtisとほぼ1年違いの生まれである。そしてビビったんのが、私の誕生日はIan CurtisとMurphy小父さんのちょうど真ん中だということ。運命的なものを感じてる時点で色々厨二病。
・JOY DIVISONの和訳(意訳)を色々なページで見ているが、解釈が色々あって面白い。ちなみに私は『UNKNOWN PLEASURES』を『しょうたいふめいのきぼう』と訳している。なんたってWizヲタですから。あと、spiritを精神と訳したくなくfeelingを感情と訳したくないのですが、じゃあどう訳すかというのを考え中。色んな解釈ができる詩世界というのは掘り下げがいがあるよね。

ブルーメーデー~俺と、俺の嫁と、その娘の'80年5月~

今年も5月がやってこようとしている。5月っていうとアイルトン・セナやhideさんが亡くなった月である。
アイルトン・セナが亡くなったことにはローランド・ラッツェンバーガーが亡くなったことも思い出さずには
いられないし、hideさんが亡くなったことには美歪さん(Deshabillz)や歪君(Madeth gray'll)が亡くなったことも思い出さずにはいられない。
セナが亡くなった時はあのクラッシュをテレビで見ていて、死んだと速報で流れた時に『あー』という呻き声をあげたことを忘れない(ちなみにその時私は登校拒否していて、大検を受けるためその後高校を辞めてしまった)。
hideさんが亡くなった時はその日のCASCADEの大阪城野音ライヴで知り、ワケが分からないままその日の夕刊の見出しを調べていた。
ちなみに私はhideさんの死を自殺だとは思っていない。あれは酒に酔って起こした一種の事故だろう。自殺というのが不名誉だからって思い込みたいわけじゃない。雑誌のインタビューやら読んでたらそんな風にしか思えないわけで。

さて、そんな色々な人の死を思う5月の私のメモリにまた一つ加わった。JOY DIVISIONのIan Curtisの死、である。―そんなのhideよりセナよりずっと前じゃないか、というツッコミはナシの方向で。まぁそれは縁の不思議ってやつで…3月半ばくらいか、たまたまニコ動だかYouTubeでJOY DIVISIONの画像を見付けたのがきっかけ。それは私には驚きで、単に有名なバンドの前身でしかない(24HOUR PARTY PEOPLEは既に観てたので)カルトバンドだと思っていたので、こんなに動画が残ってるとは思ってなかったのだ。しかもドキュメンタリー映画や奥さんの自伝をもとにした映画まで出来てたなんて。
今は辞めた(正確には辞めるって言いに行ったら解雇された)が、仕事で疲れてた私に、『まるで冷たいホルマリンの中に全身を沈めているような心地よさ』があった。しかし、JOY DIVISION、特にIan Curtisの命が行き着いた先のことを考えながら動画観たり曲聴いたりすると、ゴリゴリ削られる。何がってSAN値が(今後も色々専門用語が出てくるので検索推奨です)。これは不安障害治療中の身の私には辛い。でも断ってしまうとそれはそれでまたしんどい。…これは、飽きるまでがっぷり四つに組むしかねぇと腹を括った!

―そして私はIan Curtisを『俺の嫁』認定してしまったのであった―。
いや、ちょっと逃げないでくださいモニターの前の人!所詮私も腐女子の業を背負った女、キモいと言われても不謹慎といわれても腐女子には、やらにゃあいかんときもあるのです。『私の婿』認定するよりはマシだと思っていただきたい(流石に妻子愛人付の人ということもあるので)。
気がつきゃiPodしゃっほーに入れてたし、スマホの壁紙にまで(2010年に出たUNCUTの表紙ですねい。あのイアンたんが一番可愛いっす。後は目が怖かったり辛気臭い顔してるのがほとんどなんでね。TOUCHING FROM A DISTANCEの表紙写真なぞ…あれは化けて出る)してみた。ツイッターでも完全に頭が残念なつぶやきばかりしている(#joydivisionタグで検索して頂ければ私のここ一ヶ月半ほどの醜態が分かります)。

で、私の好きなJOY DIVISIONの曲だが、残念ながら『UNKNOWN PLEASURES』や『CLOSER』の中にはあまりない。
出来はいいけど『LOVE WILL TEAR US APART』は論外。あのPVのイアン三上寛(ちょ、ちょっと待って三上寛の悪口を言っているわけじゃない!私は三上寛のライヴに金払って往復2時間半ほどかけたくらいには好きだから!)みたいでオッサンくさいし、変な黄土色みたいなフィルターが時々入るし。歌詞に私生活が思いっ切り出てるっぽいのも何か、アレだわ。
私は『TRANSMISSION』や『DIGITAL』のような踊れる曲、『DEAD SOULS』のようなゴスい曲が好きなのだ。だから、PETER HOOKが『UNKNOWN PLEASURES』や『CLOSER』を再現しててもさしたる興味はない。私の好きな曲はMURPHY小父さんがカヴァーしててくれるからね。なんせあのお方は吸血鬼だから、詩世界を上手く中和して歌ってくれるのだ。
JOY DIVISIONっていうか、Ian Curtisの魅力っていうのは…よく内向だの内省だの孤独だの絶望だのあげくの果てには自閉などと称されたりするが、そういう言葉の群は無粋。あえて言うなら呪術的、であると思うがそれでも安っぽい。むしろここはあえて厨二方向に走って、伝奇小説的といこうか。殺風景で様々なものが奪われたManchesterの姿を多少歪める固有結界、それは過去だったり未来だったりこの世ならざるものだったり。Ianは依代となり、昂揚に突き動かされるままに揺れ蠢いたのだろう。そこにはもうクスリなど必要でないのだ。観客はきっと『くるぞ、くるぞ、キター!』っていう想いで、時に放心状態で見つめていただろう。まったく生で観れた人らは羨ましい限りである。

映画『JOY DIVISION』を観た。『UNKNOWN PLEASURES』の制作話、『あきれたぼういず』が街中を駆け回って新しい音楽を貪欲に求めたという話に通じるドキドキ感があった。『SHADOW PLAY』の他にもテレビで放送された様々な曲、金出すから全部観せろやーという気持ちだった(いやホンマに土下座してでも10万くらい積んででもいいから完全版出してくださいハイ)。…でも、Ian Curtisの癲癇の発作の話辺りから辛くなり、私は一時停止ボタンを押した。発作を初めて起こした日の話、私には『暗黒大陸じゃがたら』で江戸アケミが統合失調症を発症した時の話とダブって聞こえた。
その後YouTubeでNatalie Curtisの姿を見て、何故だかボロボロと涙が出て来た。どこか骨格がIanと似ている彼のたった一人の娘さんである。Ianが遺した全てのモノの中で至高の存在ではなかろうか。奥さんのDeborahさんの日記の中で、まだ赤ん坊のNatalieさんが、お母さんよりもお父さんを求めて泣き叫んだというのがあった。しかし、神経だけではなく精神まで病みだしたIanをDeborahさんは(子供の父親として)信用できなくなったようだ。Ianが死ぬ直前、『娘は自分が見るから』と言ってたのをDeborahさんは拒否した。…でも、もし…IanがNatalieさんの面倒を見ていたら、彼は死ななくて済んだんじゃないか。JOY DIVISIONの音楽やステージングにハマって、80年5月18日の『もしあの時ああだったら』を考えては『観測者ならぬ身の私には分かるはずもない』と潰していったが、この『もし』だけは潰せない。
30代も半ばになった私にとって、Ian Curtisは『おとこのこ』でしかないのだが、彼はててごでもあったのだ。
ててごにとって、娘ほど可愛く、また頭が上がらない存在ってそうないと思うのだ。Ianは生前、自分が良き父親ではないことを悩んでいたというのだから、彼にとってもおそらくは。
そして私は自分にとっての80年=昭和55年5月に思いを馳せるのである。当時の私は幼稚園に入ったばかりの幼女であり、絵本よりも小学生向けの学習まんがや図鑑を、図書館で借りて読むような子供だった。しかし我が家は厄介事を抱えていた。その年の3月に祖父が脳梗塞で倒れたのだ。その記憶というのは私が持つ一番古い鮮明なものである。昭和55年5月は私が祖父の見舞いに行ってた頃だろう。祖父はリハビリをすぐに投げ出し、5年半寝たきりの後に亡くなった。しかし私には祖父が『生から死へ変移した』という実感が(今でも)無い。元気だった頃の祖父を記憶していないから。今となっては『元気だった頃の祖父の記憶を持っていた記憶』だけが残っている。
私にとって…というより、我が家にとってもあの年の5月は辛い時期だったのだ。

話を昭和55年でなく'80年の5月に戻す。兎に角この世界線上ではIan Curtisという、ロック史上重要なボーカリストは自ら命を絶ってしまった。『Control』によれば、なんだかピタゴラスイッチみたいな仕掛けで吊っちゃったらしい。その死に対して責めたくもないし、私は『Rest in Place』などと言いたくはない。んなところで寝てんじゃねーと思うので。だから私は祝福を。その生と、その死をひっくるめて祝福したい。英語ではblessというのかな。祝詞(しゅくじじゃなくてのりとだよ)を奉って納めたい。
最近、Manchesterは私の海外で行くべきところ3つ目になった。行くのはずっと先になろうが。
だから
それまでに
墓石返せ
どこぞの痴れ者め。

テーマ : 伝説のアーティスト・サーヴァント化計画 - ジャンル : 音楽

腐女子は何故素性を隠したがるのだろうね?

2chから派生した18禁板に、801板という腐女子(一部腐男子)が集う板があることを
ご存知の方も少なくないと思います。
そこのとあるスレで、『自分が腐女子であることを人に言うか否か』を語り合っているのですが、
腐女子であることは『隠すべき』ことと考える人が多いことに驚か…いや最早常識と化している
ので驚くことでもないですが、とにかくそうなのです。それと、普通の人とも付き合うとか、妙に普通指向なのが気にかかります。

私はこういうとき、『普通』ってなんだろう、と思ってしまいます。
私がバンギャル道を突き進んでいた頃は、バンギャルじゃない人をパンピーと呼ぶ傾向がありました。
『貴方って普通の人だね』なんて誰かに言ったら、その人はたぶんいい顔をしないと思う。
人を小ばかにしてる言葉だと思うんです。
だけど普通に憧れ普通になりたがる。

誰しも何か夢中になることがあったり、これにだったらなんぼ金をつぎ込んでもいい!
というものがあるはずなのです。
だとしたら『普通の人』なんて居ないんですが、なぜそれを目指してしまうんでしょうかねぇ。

私はいろんなジャンルの人と交流を持ちたいと思っています(不純異性交遊じゃない方向で)。
だからこそ、腐女子としての自分は隠さずに(特にオンライン上では。口にすると腐女子という
ものが分かりにくいと思うので)行動しています。

腐女子を隠したい人(墓に持っていくべき秘密だとまで言う人もいます)の中には、腐女子で
あることと不倫することが同等だと思っている人がいるようです。
不倫は慰謝料を払う場合もあるけれど、腐女子であること自体は刑事でも民事でも裁判には
至らんでしょう(同人誌を描いて著作権で争うことはあるでしょうけど)。
墓まで持っていくことがあるとしたら、自分は人を殺したけど時効まで逃げ延びた、とか
そういうレベルのことじゃないのか?と私は思います。
でも、腐女子を隠して生きる人の中には、そういうことと同等だと考えてる人もいるのかも
しれません。

腐女子は棲み分けろ、他のジャンルの人にはカミングアウトするな
とは腐女子やってる以上はよく聞く話ですが、
棲み分けなければいけないのは『隠したい腐女子』と『公にしたい腐女子』
なのかもしれません。くわばらくわばら…。

今一度、腐女子の定義を考え直す

『電車男』のヒット以降、『オタク』や『アキバ系』などの特集が、ニュースやワイドショーで組まれることが多くなった。その次に注目されたのが『腐女子』である。
しかし、この『腐女子』は勘違いされて世に広まっている。その中でも最たるものが、はなわが結成した『中野腐女子シスターズ』だと言えよう。
アニメヲタ、コスプレヲタ、ガンプラヲタ、ハロプロヲタ、ゲームヲタ、電車ヲタ、妖精ヲタ…これのどこが『腐女子』なのか。
元々『腐女子』という言葉は『あめぞう』以前、『ニフティ』パソコン通信時代に生まれたとされている。やおいやBL(男性同士を愛し合わせる漫画、ゲーム、小説などのこと。主に同人作品)を愛好する女性のことである。
『やおい』の語源は手塚治虫だそうだ。「自分の漫画の二次創作を作るのは結構。ホモでもエロでも好きにしろ。でも、『や』まも『お』ちも『い』みも無いのはイカン!」と御大が仰り、ある同人サークルの人が『私達の書いてるものって、まさにやまなしおちなしいみなしじゃない?』と気づき『やおい』という言葉が生まれたという。
そして、『腐女子』というのはそういう『やおい』愛好者が自らを自嘲して名付けたものだ。男同士の恋愛を妄想する頭の腐った女子…というのを『婦女子』という言葉にかけたものであろう(それ故に、『蔑視』から生まれた『オタク』という言葉とは、出現経緯が異なる)。
ちなみに30歳を越えると『貴腐人』となる。
それが、いつの間にか『女オタク=腐女子』となってしまった。『同人女=腐女子』、『見た目が悪いオタク女=腐女子』という定義もあったりする。
しかし、同人誌を作ってる女子の全てが腐女子では無い。『男同士なんて気持ち悪い』という同人誌売買者もそれなりにいる。最近では、『ドリーム(『自分』と『架空のキャラ』の恋愛妄想。ネットや女子向けの恋愛ゲームの増加と共に出現したのだと思われる)』というのもよく聞くようになった。
とんでもないのがジャンプ読者(というか、2ちゃんねるの『週刊少年漫画板』住人)の定義で、『腐女子=女性読者』というものである。『腐女子のせいでジャンプは軟弱になった』とイチャモンをつけてくる。しかし、キャプテン翼やスラムダンクの頃にもやおいは大量にあったにもかかわらず、作家や編集部はそれを突っぱねていた。今はその態度を変え、媚びているだけである。やおい同人出身の作家もいる。それを腐女子のせいにしないで戴きたいと思う。
余談であるが、『腐男子、腐兄』という人達も少数ではあるが存在する。これはやおいを愛好する男性のことである。近年ではふたなり少女(女の子なのに、男性器がある)や女装男子、ショタ(少年)の同人誌が増え、男性オタクとやおいの垣根が低くなってる。それ故に増えつつある。

私が何ゆえにここまで、『女ヲタ』と『腐女子』の違いを主張するのか。それは、同人サイトで『管理人は腐女子です』と書いてあるのに、置いてある絵や小説が『ノーマルカップル』や『女の子同士カップル』だったら、全く時間のムダだからだ。
言葉は変わるものだから、『腐女子=女ヲタ』とするのもいいが、元々はどういう意味で使われていたのかは理解して欲しいものである。

最後に、私は『腐女子』というのは趣味の問題ではなく、『フィクション、妄想』に対する性的指向だと思っている。その人の人生や人格に深く根ざしたものだと、そう主張させて戴く。

追記:マスコミ的に、女性は『ファッションやメイク、男にグルメ』といったものにしか興味が無く、何か特定なものに凝るのはアブノーマルな女性、という見方があるように思う。だから『女オタク=頭の腐った女=腐女子』という勘違いが生まれたのではないかと思う。

漫画を買うように なりました(未完成)

唐突ですがアニメは増える一方です。
タイトル変更アニメ(例:ふしぎ星のふたご姫→ふしぎ星のふたご姫Gyu!)
も加えると70近い新番組が、3月~5月にかけて開始されます。
そのうち2/3ほどは、TV東京系やUHF局ネット(MXテレビ、TV埼玉、TV神奈川、サンテレビ、KBS京都など)で放映されます。そして2/3ほどが、深夜に放送されます。

そのうち漫画原作が20本ほどあります。
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